本日、ニコ
18歳になりました❣えぇえぇアメリカでは
成人扱い*今日は写真も多く長いです今日はニコの18年を振り返ってみたいと思います。

2002年2月26日午後4時ちょっと過ぎ、5パウンドと言う
未熟児(今では誰も信じてくれないが・爆笑)でこの世に誕生し、父ちゃんは日本出張だった為、義父がチャーを見ててくれ、シュートメさまが出産に立ち会い、ニコのへその緒をカット。
ニコは母ちゃんとは別室にて保育器に入っていたのと、母ちゃんは2泊3日でも付き添いが誰一人いなかったので写真を殆ど撮らず、お誕生時の写真は3枚しかありません。
父ちゃんがニコに会えたのはこの5日後。
歩き始めたのは10か月でした。

1歳のお誕生日には身長も体重もなんと
90%タイルにまででかくなり、なのに髪の毛は一向に生えて来ませんでした。

この頃はまだデジカメを持ってなくて、ビデオのカメラ機能で写真を撮ったり、メインはまだフィルムだったのでデジタルで写真が残ってないの。
この写真は2歳半で日本に行った時のもの。
まだチュッチュと我が家では呼んでたおしゃぶりが手放せず、この頃は既におしゃまさんだったね。

3歳の頃は既にプリンセス大好きっ子&ピンク星人だったニコ。
チャーもそうだけど「3歳はビッグガールだから、ベビーが使うおむつやチュッチュはおかしいよね」って2歳半くらいの頃から話してたら、3歳の誕生日にあっさりさよならしました。
ニコの希望でバレエを習い始めたのは誕生日から1か月後。
朝起きた瞬間から寝るその瞬間まで、兎に角よく喋る子だった。

4歳のニコは兎に角プリンセスみたいなのが大好きで、今とはとても考えられないガーリーガールだった。

5歳のお誕生日はプリンセスダンスパーティーでナイトになったチャーと踊るニコ。
この頃はチャーが本当にナイト(UCFのマスコットでUCFの生徒達をUCFナイトと呼ぶ)になるとはプリンセスニコも予想もしてなかっただろう。
この年は初めてサッカーとガールスカウトを始めたのもこの年だった。

6歳の頃は
Build A Bearが大好きで、そこでお誕生会をし、ぬいぐるみばかり増えてたっけ。
この頃はお店の前を素通りするのが難しかった(笑)。
この後も数年誕生日にはここのぬいぐるみをおばあちゃんに買ってもらってたくらい。
そしてこの年の冬、初めてバスケをした年だったが、この頃からバスケよりサッカーが上手だったから、まさかバスケを選んでこんなに長く続けるとは思いもしなかった。

7歳・・・大好きなおじいちゃんと一緒にお祝いした最後の年だった。
そしてまた、これがきっかけとなってニコの将来の夢が獣医からガン専門の何か、になったのだ。

9歳の誕生日を迎えて2週間後、東北大震災が起こり、ニコは始業時間前に母ちゃんと一緒に寄付金や支援物資集めに協力してくれたね。
バスケの方はスキルがどんどん上がって、この春にこの辺のジム対抗でチャンピオンになったんだよね。
バレエではちょびっとだけだったけど、初めてソロパートがあったっけ。

10歳の頃はまだ緩いジムバスケだったけど、4年生のチームと5年生のチーム両方に入ってて、更にバスケシーズンオフの時はサッカーをし、ガールスカウトにダンスにと大忙しの年だったわ。

11歳の春、デミアンがうちに来て1週間後に、ロビンが旅立った。
ミドルスクールに入り、最初の年のサッカーはトライアウト最終日で落ちちゃった。
トラベルチームの子が沢山いて、6年生で通過出来た子はほんの少人数だったしね。
そして11歳の12月に運命の出会いをする。
運命の相手とはCFEのゾーちゃんと、ゾーちゃんのママコーチW。
ここで初めてコーチWよりCFEにスカウトされるけど、トラベルに入ってまで・・・と思ってたので一旦お断りする。

12歳になった春、2度目のコーチWからのスカウトを受け、CFEに入る決断をする。
そこでなんと、6月のフロリダ州準チャンピオンになったんだよね。
CFEに入った事でダンスもこの年に止め、トラベルシーズンオフはトレーニングやミドルスクールのバスケと、この年からバスケを本格的にやり出した。

13歳、長年続けて来たサッカーはミドルスクールチームだけにし、ジムサッカーを止め、正真正銘バスケ1本に絞った年。
この年の秋にCFEでお世話になったコーチLがコーチWと大ゲンカをしてCFEを去り、それからコーチWの様子が変化したんだよね。
それでもこの頃のニコ達のチームは強くてね、トーナメントではほぼ1位だった。
そしてまた、ジムサッカーに当ててた時間は、ジュニア・オーランド・マジックチームに入って、この時のコーチにニコは見染められ、今でも連絡が来る。

14歳のニコは山あり谷谷谷ありだった。
夏からハイスクールバスケのサマーキャンプに参加し、ハイスクールでJVに入る。
CFEではこの年初めてグラント・ヒルの娘ちゃんと同じチームになって、母ちゃんはドキドキしっぱなしのシーズンだった。
でもコーチWに潰されて潰されて・・・この件については<続きを読む>で書きますが、この年のシーズン終了後、初めてバスケを辞めたいと言い出し、CFEを辞めた。

そして15歳も谷あり谷あり(笑)。
コーチVに誘われてブルースターに入ったニコ。
すごく順調に見えたのに、実はブルースターはとあるハイスクールのプレイヤーを重視するチームであり、そのやり方に納得が行かなかった父ちゃんはコーチと言い争いになってしまい、ニコは辞める事となり、CFEのコーチHから戻って来るように言われたが、コーチWのトラウマもあり、バスケをしない初めての年でもあった。
が、ハイスクールバスケではVarに入る事が出来、この時ソフモアでVarに入ったのはニコ、ナヤちゃんとジョーちゃんのみだった

16歳のニコも振り返ればバスケバスケしかない(笑)。
バスケが恋しくて結局CFEに戻り、コーチCのチームで、恐らくこの年がニコのバスケ生活の中で一番だったと思う。
ハイスクールバスケでは最悪のコーチに出会ってしまったが(笑)。

17歳、前半は楽しくて楽しくて、バスケもCFEでは最後の年だったのに、夏休み中に思わぬ大けがをしてしまい、そこから数か月は泣いてばかりの年になってしまった。
CFEの方も最後の大きな大会に出れず、心の底から悔しがってた。
この頃のニコの目標はハイスクールバスケシーズンが終わる前には復帰する事で、5か月半と言う異例の速さで復帰を果たし、バスケは不完全燃焼ながらも引退最後の時まで諦めずに走り続けたニコ。
そして18歳。
写真は後日アップしますが、現在のニコはまだ大学も決定してないが、夢に向かって大きな飛躍の年にして欲しいわ。
続きを読む前に
ニコにHappy Birthday
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テーマ : 海外で育児
ジャンル : 育児